アメリカ日本人列伝

「夢を諦めそうなあなたへ」Texas Rangers アスレチックトレーナー 滝澤祐一さん

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神奈川県で生まれ育ち、法政大学社会学部、ヒューマンアカデミー東京校スポーツトレーナー科を経てアメリカ留学を志した滝澤祐一(たきざわ ゆういち)さん。

日本でアスレチックトレーナーを目指してから、メジャーリーグのテキサス・レンジャーズで働くまでには本人だけが知る壮絶な苦労がありました。

どんな壁にぶち当たっても決して自分の夢を諦めなかった滝澤さんに、夢を叶えるまでの舞台裏を聞きました。

 

野球に携わる仕事がしたい

日本の学校に通っていた時はどんな学生でしたか?アメリカ留学を目指したきっかけもあれば教えて下さい。

小学生の頃から野球を始め、神奈川の法政大学第二高校に進学、硬式野球を3年間続けました。

法政大学在学時は、普通に就職して結婚して子供ができるんだろうなぐらいのことしか考えてませんでした。

周りの友達も就職活動を始めて、銀行やいろんな候補はあったのですが、自分の中でこれといってパッとした就職先は見つかりませんでした。やはり野球と関わりたかったのですが、どんな仕事があるかわからなかったんです

普通に就職したいという思いと、野球に関わりたいという思いで葛藤がありました。

そんなある日ゲームセンターのバイト中に、先輩と荷物をトラックに搬入する時間があったんですね。

2人で将来について話していた時、その人がたまたま通訳やトレーナーとして野球に関わる仕事があることを教えてくれました。そこが人生の転機でした。

メジャーリーグやアメリカに対する憧れも既にあったので、アメリカに行けて野球に関われるこんな良い仕事はないと思って、次の日にすぐ調べて日本の専門学校に問合せし、そこからトレーナーにしか興味がなくなりました。

日本の専門学校を経てアメリカに留学したんですか?

本当は2年間の予定で専門学校に行ったのですが、1年目が終わった後、アメリカに留学するお金を貯める為に中退しました。

そこから1年半はアメリカ留学へのお金を貯めるために、実家の北海道に戻ってバイトを掛け持ちしていました。

お金を貯めたい一心で、3つのバイトを同時にやっていましたね。

3つのバイトを掛け持ちですか。どんなバイトをしていましたか?

ピザハットのデリバリーを午前中11時から夕方6時くらいまでやって、夜はセブンイレブンのバイトやラウンドワンのバイトをしていました。

昼はピザハットで週5日働いて、深夜は週4日でセブンイレブン、残り3日をラウンドワンです。

東京では専門学校に行きながらバイトをしていたのですが、実家の函館に戻ればもっと早くお金が貯まるなと思っていました。

でもいざ帰ってみると長期バイトからは雇ってもらえず、短期バイトを見つけたは良いものの、北海道の最低賃金が680円くらいで東京と300円以上違うではありませんか。

毎日朝6時に帰ってきて、10時まで寝て11時から仕事という生活でしたので深夜に寝たことはなかったですね。

4時間だけしか寝ない生活をずっとやられていたんですか?

はい、なので朝のピザハットの仕事は結構ミスが多かったです。笑

やはり睡眠不足で集中力がなかったんだと思います。

3つ掛け持ちバイトして、最初はいろんな人に会えるし、やったことのない仕事ばかりだったのですごい楽しかったんですよ。

でも1ヶ月後くらいから寝られない生活がしんどかったですね。

バイトしながらアメリカの語学学校も探していたので、いつアメリカに行くのかも決まってなかったですし、眠い中ピザ配達して、夜中ボーリングで働いて、セブンでレジ打ちして、「自分はなにやってんだろ」って本当に思っていました。

その中自分のモチベーションをどうやって保ったんですか?

親と話をして、俺は絶対アメリカに行って、メジャーリーグで働くんだって口に出して自分に言い聞かせていましたね。

頭の中で思っているだけだと、「ずっとバイトでいいかな」とか、「違う会社で働こうかな」と思っちゃうので、親に言って責任感というか、自分への約束をしていました。

口に出して言っていたのもそうですが、常に自分がメジャーのダグアウトで働いている姿も想像していました。

あとはアメリカ国歌をYoutubeで探して、試合前の国歌斉唱の動画を見たり、深夜バイトに行く時に聞いて、「自分がダグアウトで聞いてるんだ」というイメージをしていました。

今だに母親には「バイトしてる時、アメリカの国歌をたくさん聴いてたよね」と言われます。

そうやって自分のモチベーションを保っていましたね。

 

念願のアメリカと味わった言語の壁

アメリカの語学学校に行って、初めての学校の印象はどうでしたか?

takizawa san laロサンゼルス空港に着いて、映画をみているような景色だったのでテンションはめっちゃ上がりましたね。

ですが語学学校に入ってみると、たまたま日本の大学生の春休みの期間と重なってしまい、日本人がすごい多かったんですよ。

自分は英語も出来なかったので一番下のクラスからのスタート。

クラスの8割は日本人だったので、日本で語学学校に行っているのと同じ感覚でした。

日本以外から来ている学生もいたんですけど、皆英語が話せないので会話に限界があり、この環境で英語がどう伸びるんだろうと不安だったのを覚えています。

学校が終わって寮に帰っても日本人ばかりだったので、語学学校に通っているという感覚よりは、旅行している感覚に近かったかもしれません。

このままでまずいと一番上のTOEFL(英語能力を測るテスト)コースに移動させてもらったのは良いものの、今度はみな大学を目指しているハイレベルな生徒ばかりだったので、全然ついていけませんでした。

授業について行けずにめちゃくちゃ焦り、寮に帰ってからも大学生がいっぱいいて日本語を使ってしまう。

勉強しなくちゃと思っていると、余計勉強に集中出来ずに空回りしていました。

正直その時に一度夢を諦めかけています

食べることは好きなはずが食事が喉を通らなかったり、人と会うのを避けたり。

外に出て友達を作れば英語を使うのですが、結局自分の殻に閉じこもってしまったりと悪循環でしたね。

諦めかけた夢を繋いだものはなんでしたか?

諦めかけながらも「自分はアメリカの大学に行くんだ、メジャーで働くんだ」と常々言い聞かせていました。

当時おじいちゃんが亡くなって緊急帰国することになり、日本に一時帰国したことでやる気と自分がなにをすべきかを再確認できました。

日本にいる間は長野のレタス畑で住み込みバイトをし、昼はレタスを狩って夜はTOEFLの勉強をするという毎日でした。

なんとかTOEFLで短期大学に入学できる点数を取れたので、バイトをしながら学校探しもしていました。

その後、カンザス州にある短期大学へ進学しました。

 

苦難の連続、それでも夢を諦めなかった

カンザス州にある短期大学では、ロスに行った時の自分のモチベーションの違い、成長などは感じましたか?

takizawa san flag語学学校と違い周りもアメリカ人の生徒ばかりだったので、一歩一歩夢に近づいているなと思いました。

はじめは現地のアメリカ人と交流して英語力が伸びているのは実感しましたし、結構前向きでしたね。

カンザスの大学では大きな挫折にあったとお聞きしました。

差別にあって、寮の同じ階に住んでいる4人全員が、僕が「おはよう?元気?」って挨拶しても無視するんです。

アメリカ人は初対面でもめちゃくちゃ会話するイメージがあったのでこれには驚きましたね。

他にもクラスに行くと常に自分の横の席が空いていたり、グループで討論する時は、自分だけ意見を聞かれなかったりと、もしかしたら避けられているのかなとは感じました。

そして入学してから1ヶ月も経たないうちに、自分の部屋に鍵がかかっているはずが、現金、iPad、パソコン、イヤホンなどの貴重品が全部盗まれたんですよ。

自分で警察署に行きましたが、英語もよく話せないので逆に質問攻めにあい、自分が容疑者のように責められている感覚でした。

留学生のオフィスに助けを求めたら、監視カメラを見てくれたり、一緒に警察にも話してくれたんですが、監視カメラにも何も映っていないと言われ、納得のいく対応ではありませんでした。

カンザスって日本人やアジア人は少ないんですか?

そうですね、多分住んでいる人も日本人を見るのに慣れていなかったのか、お金を持っていると思われたのかもしれません。

食堂に行ってもご飯をずっと1人で食べていました。

そういうことがあってからアメリカ人と話せなくなったというか、話しかけても仲良くなれないと自分でも思っていたのかも知れません。

食堂に行くのも周りを避けるように、みんなが来る前に行って、急いで食事を済ませていました。

語学学校の時は英語が出来ない辛さでしたが、カンザスの時は英語よりも、人間関係や生活そのものが辛かったですね。

その逆境をどうやって乗り越えたんですか?

授業は受けないといけないし、なんとかクラスに行っていたという感じです。

もうアメリカでの生活は無理なのかもしれないと思った時もありましたが、ロサンゼルス時代にお世話になった語学学校の先生に、事情を相談したことがありました。

先生は優しく「アメリカ人全員がそうじゃないから気にしないで、夢を諦めないで」とアドバイスをくれたんです。

それからは自分を鼓舞しながら、4年制大学に行くために図書館などにこもってずっと勉強していました。

TOEFLの点数が規定の点数に達したので、結局1学期で短期大学を終え、2学期目からアーカンソー州の大学に編入しました。

アーカンソー州の大学ではアスレチックトレーナーの勉強をしましたか?

希望者が全員アスレチックトレーナーの勉強を出来るのではなく、試験に合格した一定の生徒しかアスレチックトレーナーのプログラムに入れません。

プログラムの入学試験は9月にあって、そこで落ちたら1年間待たないといけないんですよ。

自分の時も40人から12人という倍率でしたが、運良く1回目で受かることができました。

留学生は滝澤さん以外にいましたか?

takizawa san graduation僕以外にはいなかったですね。

僕の大学の留学生は経済学部などに多く、アスレチックトレーナー学部には誰もいなかったです。

試験の合否はテスト結果だけでなく、発言力とか総合的に判断されて決まるのですが、アメリカ人の生徒のなかで受かるのは絶対無理だと思っていたので自分でもびっくりしました

アスレチックトレーナー学部に入りたい人ってやる気がみんなすごいんですよ。

クラスの中でも自分はこうなりたいんだってみんなの前で発表する人も結構多いんです。

自分はみんなの前で発表できるタイプではなかったので、地道にこのプログラムに入って将来トレーナーになりたいと先生には常々話していました。

わからないことがあれば先生のオフィスに行って質問ばかりしていましたし、地道に信頼関係を築いたことが合格に繋がったのかなっていうのはありますね。

 

夢のアスレチックトレーナーへ

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現在はMLBのテキサス・レンジャースでアスレチックトレーナーとして活躍しているとお聞きしました。どうやってレンジャースと契約したのか教えてください。

大学を卒業してからOPT(留学生でも大学卒業後に1年間働ける制度)を使ってメジャーリーグ、ロイヤルズの傘下のダブルエーのチームでシーズンインターンをしたんです。

インターン中に6~7チームと試合をしたので、試合があるごとに相手チームのトレーナーに仕事を探していることをアピールしていました。

たまたま対戦相手だったレンジャーズのトレーナーが、ドミニカリーグ(メジャー中で一番下のリーグ)でポジションに空きが出たよって教えてくれたんです。

ずっと相手チームに自分の名前を言って、メジャーで働きたいんですとお願いしていた甲斐がありましたね。

ずっとメジャーの舞台で働くことを目標に頑張ってきたので、コミュニケーションが苦手とか、英語が苦手とかは一切考えずに、トレーナーになることしか頭にありませんでした。

最後にアスレチックトレーナーの魅力について教えくれますか?

takizawa san family私は野球が大好きで、アスレチックトレーナーという仕事に就いています。

選手ともたまにキャッチボールをしながら、彼らの練習、試合をカバーし、1日中ずっと野球に関わっています。

奥さんには「あんたまた野球見ているの」と言われるくらい、家に帰ってきてからもテレビで野球を見ちゃったりしているんですよ。

また怪我をした選手と一緒に毎日リハビリエクササイズをし、彼らが復帰してプレーしている時がすごい楽しそうなんです。

他のスポーツでも同じですが、アスレチックトレーナーは選手と一番近くで関わり、試合で活躍して良い成績を納めた選手の嬉しい顔を見ることができる。

そんな瞬間が僕も嬉しいですし、やりがいですね。

 

留学を考えている人への言葉

これから留学を考えている人に向けて、なにかメッセージを頂けますか?

私が一番伝えたいことは、夢を諦めないということです。

夢を持つことは、自分自身を強くします。

どんなに遠回りしても、自分がブレなければ、一歩一歩それに近付きます。

時には挫折し、夢を諦めようとする時があるかもしれません。

私もそのような経験をしました。

しかし今思うと、そのような経験ができてよかったと思っています。

諦めなければ何かが見えてきます。

夢へ挑戦する過程は、この先の人生を豊かにしてくれます。

やりたい事、目標、夢を大切にしてほしいと思います。

挑戦するって楽しい事ですよ。

私も夢に向かってまだまだ挑戦し続けます。

 

インタビューを終えて

留学は一筋縄では行かず、言語、人間関係、文化の違いなど様々な壁にぶち当たるでしょう。

滝澤さんも何度も何度も挫折し、自分の夢を諦めそうになったと言います。

諦めそうになった時に、「絶対にアスレチックトレーナーになるんだ」という熱い思いを、頭で考えるだけでなく、口に出して言っていたお話は非常に印象的でした。

自分の想いを内に留めるだけでなく、実際に口に出し、自分の耳で聴いて奮い立たせたことが、今の滝澤さんに繋がったのではないでしょうか。

「テキサスレンジャースの仲間とワールドシリーズを優勝したい」と語る滝澤さんを、皆さんも一緒に応援しましょう。

 

 

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ムネ

ネバダ州立大学ラスベガス校卒。現地の会社からE2ビザを取得しラーメン屋店長になるも、2年後にコロナで解雇。ロスに引っ越すもそこで不法滞在となる。日本への一時帰国を経て現在はサンディエゴのレストランで働いています。 Facebookページから最新記事をお知らせ
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