ムネって誰?
初めまして、ムネこと鈴木宏宗(すずきひろむね)です。
1994年8月9日に北海道池田町で三人兄弟の長男として生まれました。
家族が飲食店を経営していたので、物心ついた時から皿洗いや床掃除など、お店の手伝いを始めます。
常にレストランが中心の環境で育ったため、中学生の時に将来は親の店を継ぐと決意。
転機が訪れたのが高校3年生の時でした。
高校卒業後は上京し、料理の道で修行する予定でしたが、親父から“大学で経営を学んだ方が良い”とのアドバイスを受けました。
そんな親父の言葉には以下の思いがあったようです。
美味しい料理を出すお店なんてごまんとある、むしろまずい店を探す方が難しい時代。
日本は豊かになって物に溢れている、これから他店と差別化し生き残るには料理だけを出していてもダメ。見えないもの、付加価値を提供できるレストランでないとこれからの時代は上手くいかない。
経営というのは料理を作るよりも大変だから、高校を卒業してまだ頭が柔らかいうちに勉強するべき。
先見の明がある親父からの言葉でした。
その言葉に刺激を受け、大学進学を決意したのは高校3年生の春。
どこの大学に行けば良いかわからず色んな人からのアドバイスを貰っている時に出会ったのが“アメリカに留学する”という選択肢でした。
日本から出たこともなかったですし、留学にも興味はありませんでしたが、“経営を学ぶならアメリカ”というアドバイスを受けての決断でした。
日本で1年間の語学学校を経た後、ラスベガスにある短大CSNに2年間と4年制大学のUNLVに2年間通いました。
卒業後はラスベガスで日本食レストランを運営している会社に就職し、ラスベガスで10年続くラーメン屋”Monta Ramen”の店長に任命。
2018年の12月からは姉妹店”Monta Chaya”の店長も任され、2店舗を統括していました。
順調に進んでいるかと思いきや、2020年に世界中で広がったコロナの影響でラスベガス中のレストランが一時閉店し、それと同時に私も会社から解雇。
ロサンゼルスに引っ越し知り合いが経営する日本食レストランに勤めましたが、そこで自分のビザが取り消しになったことを知ります。
知らぬ間に不法滞在を言い渡され、日本への一時帰国を余儀なくされました。
日本で半年間を過ごした後、アメリカで再就職が決まり、現在はサンディエゴのレストランで働いています。
ここまで来るのは簡単な道のりではありませんでしたが、仕事場の仲間、友達、家族の支えのお陰で自分の夢だったキャリアを積むことが出来ています。
人生に意味のない事など起こらないと学んだ学生時代
誰しも悩みを抱えて人生を過ごしていると思いますが、私もその1人です。
もの心ついた時から、私には“吃音症”がありました。
吃音症とは喋るときに言葉がどもってしまうこと。
自分では言いたいことをわかっているのにも関わらず、言葉が口から上手く出ないのです。
小学校、中学校では最初のクラスで皆自己紹介をするかと思いますが、私はこれが怖くてたまりませんでした。
どもったらみんなに笑われると思うと、緊張してさらにどもってしまうのです。
休日に友達の家に遊びに行くときには必ず行く前に電話をしていたのですが、最初に電話に出るのはその友達の親だとわかっていたので、どもるのが怖くて弟にお願いして、最初の“鈴木ですけども何々君いますか?”の部分だけ変わってもらったのを今でも覚えています。
そんな人生が嫌になり、死にたいと思うことも多々ありました。
運良く母が吃音症を子供の時持っていたので、自分の気持ちが唯一わかる人でした。
母の精神的支えがなければ、もっと自分の人生に落胆していたかもしれません。
ネガティブな事にだけ目がいくようになり、つまらない毎日を過ごしていた時、私の人生を変える事になる一冊の本に出会います。
五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という小冊子です。
著者が、ある人との出会いから自分が使う言葉を意識し、ポジティブな言葉に変える事で、人生が好転するのを体験していく実話です。
どんなネガティブな状況でも、ポジティブな言葉を意識し使う事で、自分の周りに良いことばかりが起こるという少し神秘的な内容です。
そこで書かれていたのは、
自分に嫌なことが起こったら、「ありがとう」という。
逆に良いことが起こったら、「感謝します」。
この二つを意識し使う事で、自分の人生が良くなると書いてありました。
当時15歳の私にも読みやすく実践しやすいことだったので、いざやってみると本当に自分の人生が楽しくなるではありませんか。
使う言葉を変えただけなのに、人生とはこうも変わるものなのかと驚きました。
人はネガティブな気分の時には、ネガティブな出来事や人を引き寄せます。
愚痴、他人の悪口ばかり言っている人の周りに、いつも明るくて人生が楽しそうな人は寄ってくる確率は低いのではないでしょうか。
自分に嫌なことが起こった時でも、その出来事に感情を任せるのではなく、自分で感情をコントロールし、ポジティブ思考になることが大事だと学びました。
このようなポジティブに考える習慣がつくと、吃音症を持ったお陰で学んだことも多い事にも気づかされました。
吃音症のお陰で、言葉によって人が傷つくことを身をもって知りましたし、言葉には人を助ける力があることも学びました。
言葉の大切さを気づかされ、相手のことを考えて言葉を選ぶようにもなりました。
吃音症なしには今の自分はいないでしょう。
今ではこの吃音症に「感謝」さえしています。
成功したければ他人がしていないことをやりなさい
吃音症のお陰か、幼い時から「周りの人と違う」ということには慣れていました。
日本の学校では「出る杭は打たれる」と言い、周りと合わせる協調性を大事にするようにと教えられますが、私は周りとは違ってもいいのだと自分の経験から考えるようになったのです。
教育熱心な親父の影響もあり、幼い頃から自分の将来について考えさせられたので、中学生の時には自分が将来経営者になるということは常に頭の中にありました。
また親父から口うるさく言われたのが、「成功したければ他人がしていないことをやりなさい」。
この言葉には二つの意味があります。
一つは、ビジネスの面。
他人がやっていることを真似するだけでは、ビジネスは上手くいかない。他人、他店と差別化しなければ成功者にはなれない。誰もやっていない分野はリスクもあるが、成功する確率も高い。
もう一つは、生活の面。
周りがお酒を飲んで、カラオケに行ってる間に勉強、仕事をすれば差がつく。時間というのは誰もが平等に持っているもの。成功したいのなら、周りと同じ時間の使い方をしていてはダメ。
今でもこの言葉は胸に刺さっていて、常に意識をして生活しています。
成功に必要なのは、他者・他店と差別化すること。
最後まで私のプロフィールを読んでいただきありがとうございました。
これからもブログを書いていきますので、応援よろしくお願いします。
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