アメリカ日本人列伝

「輝ける自分探しの旅」パフォーマンストレーナー 新井 茉陽さん

長野県岡谷南高校、NIC International College in Japanを経てカリフォルニア州Orange Coast Collegeに留学した新井茉陽(あらい まや)さん。

留学中、突然訪れた交通事故。

それを乗り越えられたのは、ホストファミリーの支えがあったからだといいます。

現在はヨガやパステルアートの先生として活躍するまやさんに、彼女だけの留学体験をお聞きしました。

 

諦めかけていた留学

海外に興味を持ったのはいつ頃からですか?

海外に興味を持ったきっかけは、幼い時にしていたミュージカルで出会った海外の子たちとの交流です。

全然英語を喋れなくてもどうにかコミニケーション取る中で、子供ながら世界中に友達が欲しいと思いました。

あとは幼なじみの家族がよく海外旅行に行くのでお土産をくれたり、一緒に海外映画を観てるうちに海外で暮らす生活に憧れていましたね。

自分の進路を模索する中で留学という選択肢はずっと考えていましたか?

中学校在学中にシンガポールに留学を考えたことがありましたが、スポーツをやっていたり海外で生活に不安な部分もあって、留学を諦めたことがありました。

高校で部活を引退してから本気で自分の進路と向き合い、元々英語に興味があったので恥ずかしながら図書券目当てに英語学部のある大学の資料を集めていた時です。

その資料の中で見つけた留学経験者のメッセージを読んで、心残りだった留学への思いが蘇ってきました。

調べていくうちにアメリカの大学の方が専攻を絞らなくていいと知ったので、まだやりたいことが分からなかった私にはいろんな興味のあることを学べていいな思い、アメリカに留学したいと両親に相談しました。

その時のご両親の反応はどうでしたか?

母が学生の時に3週間の留学の経験があったり、父は今からでも留学したいくらい海外に興味があったみたいで、私よりも両親の方がワクワクしていました。

「自分たちも留学している気分になれるから楽しんでおいで」と全面的に支援してくれましたね。

 

キラキラの留学生活?

カリフォルニア州の短大に留学したとお聞きしました。まず何が大変でしたか?

やはり勉強です。

運動学を専攻していたのもあり、骨や筋肉の単語を英語で暗記したり、毎週の広範囲なテスト勉強と数100ページくらいある教科書を読まないといけなかったので、朝から晩まで図書館に引きこもって勉強していました。

アメリカに来る前は映画やドラマでみるようなハイスクールミュージカルのようなキラキラした留学生活を想像していたのですが、現実は全然違いましたね。

運動学を専攻したのは高校でスポーツをやっていた影響が大きかったんですか?

スポーツをしていたのはあまり関係なくて、どちらかというとアメリカに来てから興味が湧きました。

母が韓国料理の先生をしていることもあり小さい頃から栄養に対する意識は高かったのと、自分で栄養管理に気をつけるようになってからアメリカのオーガニックスーパーに通ったり、健康に意識を持ち始めました。

アメリカは健康志向の高い人が多く、栄養学だけではなく身体に関することをもっと幅広く勉強したいなと思い、運動学を選びました。

運動学を専攻すると栄養学も含めて学べたので。

運動学ってどんな勉強するんですか?骨の種類とか筋肉の動きとかですか?

はい、基礎の部分として身体の骨、筋肉、臓器の働きを勉強します。

面白いのは机上の学習だけではなく、実習も沢山ありました。

それこそ死んだ動物の解剖したりして臓器のことを学んだり、神経がどう伝達していくか、食べたものがどうやって体の中を流れていき、最終的に尿になるのかなどを学びます。

その中でユニークだった授業などはありましたか?

やはり実験室の授業ですかね。

でも私は正直血とかを見るのが苦手だったので、解剖の授業はあまり得意ではありませんでした。

人間のホルマリン漬けを使って勉強したこともありましたよ。

本物の人間ですか?

死んでからホルマリン漬けになっているので黄色くはなってるんですけど、薬がつけてあって皮膚や筋肉が見れるようになっています。

これを見ながら実際の筋肉がどういう形になっているかを勉強し、テストもするんです。

なかなか日本の大学ではそんなことしないですよね?

医学系の学生しかやらないと思います。

そういった専門的な授業を短大でするのはアメリカならではです。

勉強の他に何かアメリカで取り組んだことはありましたか?

大学で学んでいることを何か形として残したいという思いから、好きだったヨガの資格を取ったことです。

アメリカの大学の夏休みは3ヶ月くらいあるので、その期間にハワイのマウイ島に行き全米ヨガのティーチャートレーニングを受講しました。

国籍の違う5人の女の子たちと一軒家に住んで生活し、資格取得のための勉強以外にもプライベートでビーチに行ったり家ではフライパンを木ベラで叩きながら歌って踊ったりして毎日が充実していたのを覚えています。

資格を取るのも簡単ではありませんでしたが、みんながサポートしてくれたお陰でとれたと思っているので、ただ単に楽しい友達というよりは苦難を共にした仲間という感覚です。

そこで資格を取れたのもあり、現在もヨガの先生として活動しています。

ハワイでの経験が今も生きているんですね。

 

波乱の留学生活を支えた家族

噂ではアメリカで大変な目にあったと聞いたんですけど本当ですか?

そうなんです、実は交通事故に遭いました。

自転車に乗っている時に車にはねられたんです。

え!?車にはねられたんですか?その時の状況を詳しく教えて頂けませんか?

学校には毎日自転車で30分くらいかけて通学していました。

その日も通学中に交差点で待っていて、青になった時に発進したら横から車が急に曲がってきたんです。

アメリカは赤信号でも右に曲がっていい法律があって、運転手は年下の男の子だったんですが、携帯をいじりながら運転していたらしいんです。

運悪くぶつかって、本当に宙に浮いたんですよ。

結局前歯は折れて左手は骨折、顎下は肉が見えるくらいまで剥がれました。

・・・ひどいですね。その後どうなったんですか?

事故現場の目撃者が血だらけの私を見て、とりあえず家に送ってくれて、ホストマザーと病院に行きました。

特に応急処置をしてくれることもなく、簡単な治療にギブスを巻いて終わりでしたけど。。。

大事に至らず本当に良かったです。交通事故に遭ったのは大変でしたね。

実は事故後の方がもっと大変だったんです。

事故を起こした時運転手の彼は自分の悲を認めていたんですが、その日の午後に彼の親から電話がかかってきて、「うちの息子は悪くないって主張してる」って言われたんです。

さらに大変だったのが保険会社とのやりとりです。

アメリカって保険会社を通すと個人の保険料が高くなるので、直接のやり取りを好みます。

でも私は留学生で不安だったので保険会社を通したいと伝えました。

目撃者の方やホストファミリーもサポートしてくれたんですけど、治療費の申請なんか全然スムーズに進まず、しまいには自分の担当者が3回も変わりました。

えー!そんなことってあります?

連続で自分の担当者が急に旅行に行ったまま辞め、次の担当者にも全然話の引き継ぎができておらず、事故報告と同じやりとりを何度も何度も行いました。

結局事故の治療費の解決までに1年掛かったんです。

私だけだと心細かったですが、ホストファミリーという強い味方が英語で保険会社とやりとりしてくれたので本当に助かりました。

そうですよね、ふつう留学生だと言い合いになったら負けちゃいますよね。まやさんにとってホストファミリーはどんな存在でしたか?

私はホストマザーとホストファザーの2人と一緒に住み、彼らは自分の家族みたいな存在です。

ホストマザーは毎朝6時からジムにいく元気な80代のおばあちゃんで、勉強で忙しい時には映画で出てくるようなチョコチップが入ったパンケーキを焼いて励ましの手紙と一緒にリビングのテーブルに用意してくれたり、お母さんみたいに接してくれたんですね。

ホストファザーは息抜きにご飯連れてってくれたり、勉強していて夜遅くなる時は学校に迎えに来てくれたりしてくれました。

誰も知り合いがいないアメリカという国に来て、2人が本当に私の心の支えになっていました。

ホストマザーとは暮らし始めてからすぐに大きな喧嘩もありましたけどね。

どんな喧嘩だったんですか?

私の家では小さい頃から洗い物、片づけ、自分でできることは自分でやるよう教えられて育ってきました。

でもホストマザーは何でもやってあげたいと思っていてくれたみたいで。

ある日、食事した後に彼女が「洗い物は私がやるからいいよ」と言ってくれたんですが、いつもやってもらっていたので「今日は食器洗いは私がするよ」と主張すると、「私がやるって言ってるでしょ!」って怒ってしまったんです。

日本は本音と建前って文化がありますが、アメリカはNOって言ったら本当に“NO”なんですね。

私も悪かったと思いましたが謝ることができず、そこからお互い変な意地を張り、1週間ぐらい全く喋らないという冷戦状態がつづきました。

さすがに顔を見るのに話さないのは苦しくなってきて、言いたいことを文章にまとめて部屋で何度も、何度も練習したんです。

でもホストマザーを目の前にしたら練習した言葉は一つも出てきませんでした。

言葉よりも感情というか、言いたいことが思うように伝えられない悔しさのあまり泣き出してしまったんですね。

でもそれを見た彼女が「まずはハグしようか」って言ってくれて、心のモヤモヤが取れ安心したのかハグしてもっと涙が出ました。

そこから和解した私たちの距離はぐっと近くなりました。

私も話を聞きながらウルッときてしまいました。喧嘩したからこそ2人の距離が縮まったんですね。

やはり文化も価値観も違うので、本音でぶつかりあったからこそ打ち解けましたね。

それから他の家事も任せてくれたり、私をもっと頼ってくれるようになりました。

もしもう一回アメリカに留学したら、ホームステイしたいと思いますか?

学生同士のルームシェアも経験してたいですが、やはりホームステイを選ぶと思います。

留学生活を終えるとき、ホストマザーは「まやでホームステイの受け入れを終わりにしたい。それくらい良い思い出が出来た。」って言ってくれて、その時ホームステイを選んで本当に良かったと思いました。

ホストファミリーだけでなく近所付き合いも深く、よくパーティーもしていて帰国前日にはたくさんの人が家にさよならを言いにきてくれました。

ホストマザーとは今でもズームで連絡を取り合う仲ですし、一度日本に招待したこともあるほど仲がいいんですよ。

ホームステイは私の留学生活を語る上で欠かせない経験です。

 

留学を経て

まやさんのは現在どんな活動をしているのか教えてください。

はい、留学の経験も活かし機能的な身体と充実したライススタイルをサポートしていく企業で今年の3月から働きます。

また、美養(BE YOU =⾃分らしく⾃然体)をテーマとしたサロンをもうけ、ヨガ教室やパステルアート教室、ファスティングアドバイザーなどアメリカで学んだ運動学や栄養学の知識を元に、考え方や食べ物と健康を結び付けるフリーランスとしても活躍しています。

パステルアートは絵が苦手な方でも、誰にでも簡単に描けるので小さなこどもからご年配の方まで年齢を問わず結構人気です。

パステルアートの楽しみ方って周りが見て上手い絵を描くことじゃなくて、自分らしさを自然体で表現することなんですね。

「もっと自分らしく生きていいんだよ」ということをヨガやパステルアートをはじめとして伝えられればと考えています。

自分はこうでなければいけないという考えを取り払うことで、意外と自分ってこんな魅力や才能があるんだと1人でも多くの方に知ってもらいたいです。

 

これから留学を考えている人への言葉

高校3年間はボートに愛を注ぎ、早朝から夜遅くまで練習に励んでいた私は勉強のことなどほとんど気にかけず、食う、寝る、漕ぐ、の毎日。

いつか英語を話す国で住みたい!ただその思いだけで海外へ飛び込みました。

やりたいこと、好きなことってそう簡単に見つかるものじゃないし、期限を決めて探そうと思って見つけられるものでもないと思います。

新しい世界に飛び込むとこはすごく勇気が必要です。

でもその思い切った一歩が踏み出せることで自分の可能性と視野がどんどん広がり、もっと自分にも自信が持てるようになれます。

アメリカ留学でいろんな人との出会いがある中で、他人と比べない、個性のあることの素敵さを学びました。

一歩を踏み出し、必ずどこかにある輝ける自分探しの旅に出かけて欲しいです。

 

インタビューを終えて

一番印象的だったのはまやさんがインタビューの間、終始笑顔だったこと。

そんな明るさとエネルギーに満ち溢れた彼女だからこそ、留学中に魅力的な人たちとの出会いが沢山あったのかも知れません。

「自然体の自分でいることが大事」と熱く語るまやさんは、とても輝いていました。

なぜまやさんの周りに人が集まるのか、私もインタビューを通して分かったような気がします。

 

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ムネ

ネバダ州立大学ラスベガス校卒。現地の会社からE2ビザを取得しラーメン屋店長になるも、2年後にコロナで解雇。ロスに引っ越すもそこで不法滞在となる。日本への一時帰国を経て現在はラスベガスのレストランで働いています。 Facebookページから最新記事をお知らせ
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