アメリカ日本人列伝

「スポーツ留学の無限の可能性」Seattle Mariners 通訳 傳﨑夢造さん

yumezo san couple

小学校2年生から白球を追いかけ、神奈川県立市ヶ尾高校を卒業後にアメリカ留学を選んだ傳﨑夢造(でんさき ゆめぞう)さん。

野球に恋した少年が夢見た舞台は、世界中から一流プレーヤーが集まるメジャーリーグでした。

今年から通訳としてシアトルマリナーズの一員となった夢造さんに、メジャーで働くまでの裏側を語っていただきました。

メジャーを夢見る少年

日本で学生だったときに1番取り組んだことはなんですか。

小学校2年生からソフトボールを始めて、中学校ではリトルシニアの硬式野球クラブ、高校では硬式野球部でやっていました。

そんな私は小さい時からメジャーリーグの舞台に憧れていたんです。

小学校の卒業文集には「高校は甲子園、大学はアメリカ、そしてメジャーリーグで野球をやりたい」と書いていました。

日本で野球をやっている時からメジャーを夢見ていたんですね。メジャーで野球をしたいと思ったキッカケはなにかありましたか。

どうせやるなら野球のレベルが1番高い所でプレーしたかったんです。

高校で野球部に入り、全然甲子園に行けるレベルではありませんでしたが、それでもメジャーの夢は諦められませんでした。

周りにも「アメリカに行きたい」と常々言っていましたし、アメリカに行くことが当たり前だと思っていたんです。

その他にもメジャー挑戦の新しい道を切り開きたいというのもありました。

ほとんどの日本人選手は、プロ野球で活躍してからFAやポスティング制度でメジャーに行くのが当たり前になっていますよね。

反対にアメリカの高校や大学で野球をして、メジャーリーグのドラフトにかかってメジャーを目指す日本人選手はほとんどいません。

現にドラフトにかかった日本人選手は今まででも5人くらいしかいないですし、そこからメジャーに昇格した選手はまだ1人もいないんです。

茨(いばら)の道なのは十分知っていましたが、自分が上手くいけばこれからの選手にも選択肢が広がると思ったんです。

アメリカでの大学野球生活

yumezo champion

アメリカの大学でも野球漬けの毎日だったと聞きました。アメリカの大学の野球部ってどんな感じなんですか。

最初に行ったカリフォルニアの2年制大学では入団テストはなく、誰でも入部可能だったので最初は120人くらい集まりましたね。

ピンからキリまでいて、野球をしたことがない人から高校で成績を残している人までが集まります。

大学の野球部は8月に入部し、実際にシーズンが始まるのは2月なので、秋学期の期間はずっと練習です。

最初は体力系のしんどい練習ばかりするので、その練習に耐えられない選手がどんどん辞めていきます。

それから実戦練習をして、今度は首脳陣が選手を選んでいくんです。

そうして8月に120人くらいいた選手は11月末には40人くらいまで絞られます。

実際に春のベンチ入りメンバーは25人なので、そこに入れなかった選手は”レッドシャツ”と呼ばれ試合には出場せず、ひたすら練習をします。

1900年代にネブラスカ大学のアメリカンフットボール部で、レギュラー組とは別のメンバーが赤いユニフォームを着て練習試合をしていたことから、現在では全てのスポーツでレッドシャツという言葉が使われています。

私も1年目はベンチ入り出来ず、ずっと練習をしていましたね。

この大学では出場に恵まれず、1年後にオレゴン州の2年制大学に編入しました。

野球部のレベルがそこまで高くはないのもあり、そこでは主力としてプレーできました。

4年制大学への編入を考えていたため、卒業が近くなると自分のプレーを撮ったビデオや成績、紹介文をメールで100校くらいに送っていましたね。

アメリカでは夢造さんのように自分から4年制大学に紹介文を送るやり方が主流なんですか。

yumezo pitchingそうですね、特に野球では「自分はこう言うタイプのピッチャーです」っていうのを各学校へ送ります。

もちろん有名選手ならスカウトがきますが、一般の選手はそのようにしてアピールしなければいけません。

私もオレゴンの4年制大学から推薦が来て野球部の雰囲気もすごい良かったのですが、留学生には奨学金が降りなかったので断念しました。

あとオレゴンは曇りや雨ばかりだったので、南の暑いところで野球がしたかったのもありますね。

やはりスポーツ選手として寒いのは嫌だったので。

10校くらいから返信があり、その中から奨学金をもらえて、地区大会では優勝常連校だったアーカンソー州の州立大学を選びました。

またアーカンソーの大学からは毎年2~3人がメジャーリーグのドラフトに選ばれてたので、メジャーリーグのスカウトにも、より見てもらえると思いました。

日本とアメリカの野球を比べた時に、なにか違いを感じましたか。

アメリカは全体練習が2~3時間と短いですね

自由時間が多く、勉強したい人は勉強、トレーニングしたい人はトレーニングをするなど自分のやりたい練習をしています。

時間はその分結構有効に使えます。

後は上下関係も全くないですね。年齢も気にしないし、年齢の話もしないです。

特に一般的に日本の野球部は上下関係も厳しく、年齢に対するカルチャーショックはありました。

私が大学4年生の時には寮で1年生ばかりの中で生活です。

自分は24歳で周りは高卒の18-19歳の子ばかりでしたが、もちろん敬語はないし、おちょくられます。

寮の2階は全て野球部。

その階にはシャワールームが4つしかなかったので、練習が終わると誰が早くシャワーを浴びるかの競争が始まります。

日本だと一番先輩の僕に譲るわけですがそんなことはなく、いつも競争でした。笑

先輩が先みたいな文化は全くないですね。

アメリカらしいですね。笑

後は選手とコーチとの関係も印象的でした。

日本だとコーチが話している時は帽子をとって、「しっかり聞いています」っていうのを態度でしめしますよね。

アメリカは帽子はとらないし、座ってる奴もいるし、ツバを吐くのも普通なので、コーチが話しているときに目の前でツバを吐く奴もいます。笑

でも話はちゃんと聞いていて、質問があったら発言するし、コーチと言い合いになることだってあります。

言い合いが起きるのもコーチと選手の距離が近いからであって、お互いがコミュニケーションを取る頻度は明らかにアメリカの方が多いですね。

コーチが肩を組んできて「授業どうだった?」など聞いてきますし、僕なんか結構いじられて「お前らがパールハーバーに攻撃してきたんやろ」みたいにジョークを言われたりします。

やはりそういった野球とは関係のない所でコミュニケーションをとることで、どんどんコーチとの信頼関係が生まれていくのは感じました。

なので悩んでいることや怪我のことなども直ぐにコーチに相談できます。

選手としての人生に終わりを告げ、新たな人生へ

大学卒業後の話しを聞かせてくれませんか。

チームとしては2年連続でリーグ優勝を成し遂げ、個人では先発の一角としてプレーし、3年生のリーグ優勝決定戦の時には完投勝利で胴上げ投手になることができました。yumezo san pitcher

しかし、メジャーのドラフトには結局選ばれず、それでも夢を諦めきれなかったので独立リーグに挑戦したんです。

独立リーグといってもレベルが上から下まで様々で、自分は1番下のレベルのリーグでした。

私が所属したのはコロラド州のチームで、給料は週50ドル(約5000円)。

独立リーグは基本小さい田舎にあり、その街のホストファミリーが衣食住はサポートしてくれるので最低限の生活に困ることはありませんでした。

とにかく野球をしたい人が集まるのが独立リーグです。

チームのトライアウトに受かり、春キャンプに参加し、そしてキャンプに招待された50人から30人だけがベンチ入りするわけです。

最初のキャンプはすごい調子が良く、ベンチ入りすることができましたがシーズンが始まってから成績が振るわず。

先発として2試合目を投げ終わった後に解雇されました。

監督から試合後に言われた「I’ll let you go(お前は解雇だ)」は忘れませんね。

そんな簡単に解雇されてしまうんですね。

独立リーグでもそれだけ競い合いで、入れ替わりが激しかったです。

これを最後の挑戦だと決めていたので、そこで現役選手としての諦めがつきました。

ただこれからの人生など考えたこともなかったので、最初は何をしたらいいかわかりませんでした。

選手としての人生は終わっても野球は大好きでしたので、なにかスポーツに関わる仕事がしたかったのです。

私がお世話になった留学会社のプログラムでサポート役として働いたり、サマーリーグで出会った色川冬馬氏 (後にアジアンブリーズ創設) に誘われプエルトリコにいって東北の小学生が参加するラテンアメリカ野球トーナメントに帯同したりしました。

みな言葉は違えど野球を通じて交流したり、子供達の価値観が変わっていくのをみて、スポーツの奥深さ、子供達を海外に招待する面白さを知りましたね。

また縁があり出会った今の奥さんの家がラスベガスだったので、その後はラスベガスに拠点を移し、会計事務所や旅行関係でも働きました。

フリーランスとしてイベントやコンベンション、企業視察などで通訳の仕事をしだしたのもこの頃です。

それ以外にも現在もアメリカへスポーツを通して (特に野球) 挑戦する日本の若者を応援する様々なプログラムをサポートしています。

選手のサポートとしては前述の色川冬馬氏のアメリカトライアウトトラベルチームであるアジアンブリーズがあります。

アジアンブリーズとはどのような団体なんですか。

asian breezeこのチームは今年で2年目になり、2月末から3月にかけてメジャーリーグのキャンプが行われているアリゾナで、メジャーリーグのマイナーチームや韓国プロ野球チーム、メキシコプロ野球チーム、地元大学チームと試合を行いながらプロスカウトに見てもらい、プロ契約を目指すというプログラムです。

この2年間でアメリカだけでなく、メキシコ、オランダ、日本と10名近い選手がプロ契約を結びました。

私はチームとの試合交渉からスケジュール作り、ホテル、バン、練習場の確保など現地でのオペレーションを担当しました。

さらに色川冬馬氏主催でアジアンブリーズを生み出したベースボールオンラインサロンでは、Facebook のクローズドグループで日々世界中の野球情報をアップデートし、コーチーズバンクや野球の学校だけでなく、海外の高校大学野球留学やサマーリーグなど新しいものや選択肢をどんどん作り出し、これからの野球界を変えていく集団として活動しています。

夢の舞台・メジャーリーグへ

どのようにしてシアトルマリナーズの通訳になったか教えてくれますか。

アメリカの野球界は日本人が少なく非常に狭い業界なので、紹介の紹介などで多くの方と繋がることができました。

例えば大学生の時にサンディエゴでやっていたサマーリーグに参加した時は、監督が元日本人メジャーリーガーの方でしたし、あるプロ野球チームがアリゾナに春季キャンプで来た時は、首脳陣の専属ドライバーとして働いたこともあります。

baseball meetings日本人スタッフさんとも出会うことが多く、スカウトやトレーナーの方と仲良くさせていただけるようになりました。

メジャー関係者が周りに増えていくうちに、アメリカへ挑戦する日本人選手の通訳を探しているという話を聞くようになりました。

メジャーリーグで日本人が働くのはもちろん大変ですが、日本人選手が数多く活躍しているため通訳としてなら需要がまだまだあるんですね。

アメリカにステータスを持って住んでいて、英語ができて、野球のことも知っているとなると数は限られてきます。

そんなある日、ある選手の通訳を探しているという話を聞きました。

そのとき奥さんに挑戦したいと話をしたのですが、遠距離生活になる、また家族のいるラスベガスを出るのは厳しいとのことで反対でした。

彼女はメキシコ系アメリカ人で家族を大切にする文化があるため、その時は納得し諦めることにしたんです。

その後も何人かの選手の通訳の話はあったんですが、他の人が選ばれ、結局メジャーリーグの世界で通訳として働くことはありませんでした。

転機が訪れたのは今年の1月。

日頃からお世話になっている球界関係者から連絡があり、メジャーリーグの通訳に興味はあるかということでした。

今度は奥さんも了承してくれたので、すぐさまマリナーズのキャンプ地に飛びました。

直接その選手とインタビューがあり、数日のうちに通訳として働かせていただけることが決まったんです。

小学校からメジャーを目指し、一度諦めた夢でしたが、通訳としてメジャーの舞台に立たれています。これからの意気込みを聞かせてください。

yumezo marinersコロナウイルスの影響で3月中旬にメジャーリーグのスプリングトレーニングが中止になり、現在(6月初め)でもシーズン開催がまだ決定していません。

自分にとって初めてのシーズンがメジャーリーグの歴史の中でも特別な一年になっていきますが、どのようなシーズンになろうとやることは同じだと思います。

選手が最高のパフォーマンスをシーズンを通して出せるように、フィールドやクラブハウスでの通訳の仕事だけでなく、私生活でも何でも屋として必要なことをさせていただき、サポート出来ればなと思っています。

留学を目指している人へ

スポーツをやりたくてアメリカ留学を考えている人に向けてメッセージをいただけますか?

お金もかかりますし大変なことばかりですが、それには変えられないものが得られるので、留学に挑戦してほしいです。

特にスポーツに関わる留学をお勧めします。

選手としてだけでなく、スポーツビジネスやトレーナーやコーチなどスポーツに関われることはたくさんあります。

私は高校の時プロ注目でもなく平凡な高校球児でしたが、アメリカに来て挑戦を続けることで人生が変わりました。

日本ではなく、アメリカだからこそ作れた人脈やチャンスのおかげで今があります。

日本のプロ野球の市場規模は約1800億円、MLBは約1兆円と言われています。

またアメリカはプロスポーツだけでなく大学スポーツの規模が半端ではありません。

大学を統括しているNCAA(全米大学体育協会)は市場規模は8000億円、年間1000億円の収益を得ていてプロリーグに匹敵します。

これから東京オリンピックなど日本もどんどんスポーツにお金をかけてスポーツビジネスが大きくなっていくと思います。

現に日本の大学は日本版NCAAであるUNIVASという新しい大学スポーツ統括組織を2019年に発足しました。

さらにプロ野球を筆頭にこれからどんどんアメリカへ挑戦するプロアスリートが増えて行くでしょう。

このような時代アメリカでスポーツに関わった人材が求められていきますし、将来スポーツの世界で仕事のしたい人はアメリカのスポーツに関わることも1つの選択肢にしてもいいのではないでしょうか。

また何よりもスポーツには言語や文化などが異なってもそれだけでコミュニケーションが取れたり、団結できる限りない大きなパワーがあります。

留学でなくても短期でもいいので、小学生の年代からスポーツを通して海外に挑戦して行く中で、世界にはいろんな人々、文化、価値観があることを理解し、私たちには無限の可能性があることを感じて欲しいです。

また大きな話になりますが、人間の人類の最終のゴールは全ての人々が争いや不幸がなく幸せに暮らすことだと思います。

私はまだまだ何も実績もありませんし、このようなことはまだ何もできていませんが、将来的には、世界中の人々がスポーツを愛して楽しんで、平和に幸せに暮らせる世の中になれるように、少しでも貢献出来ればなと思っています。

インタビューを終えて

夢造さんとのインタビューは約2時間。

その間、彼の口から出てくるのは野球の話ばかりでした。

やはり自分の好きなことをずっとやってきて、それを仕事にしている人って目の色が違います。

選手としては挫折したかもしれないけれど、一流日本人選手のサポート役としてメジャーリーグの舞台に立ったのは、野球を愛して愛して止まない彼が引き寄せた結果ではないでしょうか。

もっと多くの日本人選手がメジャーリーグで活躍できるよう手助けしたいと語る、夢造さん。

彼が支援している”アジアンブリーズ”の詳細はこちらから。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

YouTube始めました!

 

 

ムネ

ネバダ州立大学ラスベガス校卒。現地の会社からE2ビザを取得しラーメン屋店長になるも、2年後にコロナで解雇。ロスに引っ越すもそこで不法滞在となる。日本への一時帰国を経て現在はサンディエゴのレストランで働いています。 Facebookページから最新記事をお知らせ
詳しいプロフィールはこちら

-アメリカ日本人列伝

Copyright© 留学応援団 , 2024 All Rights Reserved.