アメリカ日本人列伝

「日本のスポーツ界の未来のために」三輪 晃久さん

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津島東高校、中部大学を経てオハイオ州の大学院に進学した三輪晃久(みわ あきひさ)さん。

大学に通っていた時にカナダに1年間留学したことが、海外で働きたいと思ったきっかけだと言います。

アメリカの大学院、国際結婚、マイナーリーグでのお仕事と、様々な分野でのお話を聞きました。

新しいことに興味を持つ

日本ではどんな学生だったか教えてくれますか。

私は愛知県の七宝町出身で、幼い頃から野球をやっていました。

高校、大学でも野球部に入っていましたが、大学2年生になってもレギュラーになるのは難しく、このまま野球を続けても自分のためになるのかと葛藤していた時、たまたま同じ学部だった友達が、一緒に留学してみないかと誘ってくれたんです。

1ヶ月間カナダのバンクーバーに行き、そこでいろんな国の人と英語でコミュニケーションをとり、拙(つたな)い英語でも自分の思いが通じるのが楽しかったです。

カナダへの留学をキッカケに、海外に興味が沸いたんですね。なぜアメリカ留学を目指そうと思ったのでしょうか。

バンクーバーから帰ってきてから大学の野球部を辞め、大学3年生の時には休学してカナダのトロントに1年間行きました。

トロントから帰ってきてから自分の将来を考えた時、英語を話したいという思いと野球に携わりたいという思いが強くあったんです。

この時に自分の中ではアメリカとかカナダの野球チームで働きたいなと考えていました。

大学を卒業してからアメリカの大学院に行けばなにかチャンスがあるんじゃないかと情報を集めていた時、私の大学がアメリカ・オハイオ大学と提携校で、大学院に編入できることを知りました。

そこからは編入のための勉強や、2ヶ月くらいアメリカ・ワシントン州のMLBのマイナーリーグでインターンシップをやったりしていました。

マイナーリーグでのインターンシップはどうやって見つけたんですか。

トロントから帰ってきた後、アメリカで野球に携わる仕事をするにはどうしたら良いんだろうとネットで探していたところ、「星野ドリームプロジェクト」という星野仙一さんが主催のインターンシッププログラムを見つけました。

ネット上での面接が一回、それから岡本さんという方とその人が住んでいるホテルみたいなマンションのロビーで面接をしたんですが、この方が凄い厳しい人だったんです。

私は当時大学3年生だったのですが、自分の無知さを叱られました。

「おまえ経済新聞を読んだことあるか?」と面接中に経済新聞を渡されて、1時間以内に新聞の内容をノートにまとめろと言われたんです。

経済新聞なんて読んだこともなかったですが、経済の勉強をすることも野球の仕事をする上で大切だと教えてもらいました。

インターンを通して見つけた発見、または気づきみたいなものはありましたか?

akisan migi考え方の面で、岡本さんからいろんなことに興味を持つことの大切さを学びました。

小さなことでも良いからすべてのことに興味を持って調べろと。

例えば野球にしても、野球というスポーツだけじゃなく、お金のことや、ビザの問題なんかも仕事に関係してくるじゃないですか。

経済、政治というように一見野球に関係のないようなことでも後に繋がることはあるのだから、自分の興味がないことにも積極的に勉強することって大事なんですよね。

またアメリカで実際に働き、アメリカ人が一瞬一瞬、仕事を楽しんでいる姿は印象的でした。

私もインターンがすごい楽しくて、アメリカで働きたいと大雑把に考えていたものが、マイナーリーグで働きたいと強く思うようになりました。

 

アメリカ大学院と国際結婚

アメリカの大学院ではどんなことを勉強されましたか。

オハイオ大学では国際発展学部 (International Development Studies)という学部で、世界の貧困や人種差別、環境問題、世の中で起こる不平等の問題をどうやったら直していくかという勉強をしました。

他にもオハイオ大学は全米トップのスポーツ学部があるので、その学部の授業に参加させてもらうこともありましたよ。

受けたクラスの中で、印象的だった考え方とかってありましたか。

アメリカにはこれだけ様々な人種が住んでいるにもかかわらず、“人種”は小学校では触れてはいけないトピックみたくなっていて、教育科目にも入っていないんです。

だから一週間に一回でも、”Race(レイス)”っていう人種についての授業があれば、子供の時から別の人種について学ぶ機会があるのではないかと思います。

人種差別がなくなるのは難しいですが、子供の時から真剣に向き合うことで人種差別は減っていくのではないでしょうか。

大学院で一番苦労したことは何でしたか。

やはり言語の壁ですかね。

日本語でも難しいようなトピックが多かったので先生の話を理解するのが大変でしたし、クラスのディスカッションの中にもなかなか入れなかったです。

ディスカッションでは人種差別や性差別など、日本に住んでいると考えたこともなかったトピックについて、それぞれの学生が発言していきます。

日本でもこのようなトピックはもっと議論されるべきなのですが、アメリカではもっと身近なトピックですね。

各生徒が自分の体験談をふまえて意見を出している姿は印象的でした。

アメリカ人の奥さんとは同じ学部で出会ったんですか。

はい、私の学部は国際発展というだけあって、学部の生徒はアフリカ、アジアからの留学生がほとんどでした。

15人中アメリカ人は3人くらいで、その中の1人が今の奥さんです。

クラスで知り合って、最初は一緒に図書館で勉強したり、友達みんなと遊ぶような仲でしたが、私の方が好きになってしまい告白したんです。

でも彼女から「今は学業に専念したい」と言われ、自分は完全にフラれたものだと思っていました。

そのまま夏休みに入り、学校が始まると今度は彼女から好きだと言われた時には驚きましたね。

完全に脈はないものだと思っていましたが、彼女曰く「今は忙しいからもうちょっと待って」という意味だったらしいんです。

自分はまだ彼女を好きだったので、それから何度か一緒に勉強やデートをして付き合うようになりました。

付き合いだして約1年後に結婚式を挙げたので、付き合ってから結婚するまでは結構早かったですね。

文化の違いで喧嘩することなどありますか。

最初は文化の違いで喧嘩することも多かったですが、今はお互いのことがわかってきて喧嘩することはほぼありませんね。

2人ともお腹空いてる時は結構派手に喧嘩しますが。笑

後は文化の違いではないですが、私の「アメリカ人って○○だよな」という発言に対して、彼女はアメリカ人を一括(ひとくく)りとして見られることを嫌いますね。

ある時仕事でストレスが溜まり、家に帰ってきてアメリカ人について罵声を言った時には、「アメリカ人全員が同じじゃないんだから、そうやって言わないで」と彼女に凄い叱られました。

これには反省しましたし、アメリカ人はいい意味で相手に無関心です。

日本人だと「あいつは○○だよな」と裏で相手の話をすることが多いと思うのですが、アメリカ人は他人に対して無関心で、気にしない人が多いと感じますね。

 

憧れのマイナーリーグでの仕事

マイナーリーグでどうやって仕事を見つけたのか教えて下さい。

akisan minor league“チームワークオンライン”というマイナリーグの仕事が載っているサイトがあって、このサイトを使ってずっと仕事を探していました。

30件くらい応募して、ようやく採用されたチームがMLB・ロサンゼルス・ドジャース傘下のタルサ・ドリラーズ(Tulsa Drillers)というチームでした。

その時の面接してくれた人がエリックという方で、最初に話した時からこの人は他の面接官と違い、自分を理解してくれていると感じました。

それまでの面接官は、「この人、違う国の人と喋ったことないんだろうな」と感じさせるような考え方の人が多く、野球に対する自分のやりたいことや自分の情熱が伝わっていないなと感じることが多々あったんです。

自分がアメリカまで来て、アメリカのマイナーリーグの仕組みを学んで、それを日本に持ち帰りたいといった、他の人ではもっていないような情熱を持っているのにそれを理解してくれる人が少なかったです。

その中でもドリラーズのエリックは、僕のことを理解しようとしてくれていて、面接中も深い質問ばかり聞かれました。

「この面接だったら受かったかもしれない」と思いましたが、約束の日になっても連絡は来ず、奥さんにも「また面接ダメだった」と言っていた矢先、ドリラーズから採用の電話をもらいました。

念願のマイナーリーグで働くことが決まり、これには奥さんと一緒に喜びましたね。

ドリラーズではどんな仕事をしていましたか。

akisan sumo簡単に言えばチケット売りのように、お客さんに一人一人電話して、チケットを買ってもらえるようにお願いしていました。

チケット販売の電話は世間話から始まり、ドリラーズの試合の話をして、どんどん話を進めて最終的にチケットを売るのが目的なのですが、最初はとても苦労しました。

ですが自分ならこの人たちに売れると思う日本人会や小さな企業などに集中するようにしてからは、少しずつ上手くいきました。

企業向けにチケットを販売したり、グッズ売り場の担当をしたりと様々な仕事に関われたことは良かったですね。

あきさんのこれからの目標を聞いても良いですか。

とにかく自分という存在を少しでもレベルアップさせたいと思っています。

小さなことでも少しずつ努力すれば大きな結果に繋がると信じ、パソコンのスキルでも、メールを上手に書くでもなんでもいいですけど、一つのことに縛られず、いろんな分野でスキルアップしていきたいです。

Adobe Illustoratorを使って自分のオリジナルブランドを作るためいろんなデザインもしています。

昔から野球に携わっているので、知り合いと野球のオンライン大学を作って次世代の選手を助ける活動もしています。

自分のアメリカのマイナーリーグについて話していますので、ぜひチェックしてみてください。

 

これから留学を考えている学生たちへ

多分同じことをほとんどの留学経験者がいうと思いますが、とにかく留学する前にできるだけ英語のレベルをあげることがとても大切になると思います。

理由は自分の英語のレベルが高ければ聞き取り、読み書きなど全てのカテゴリーに置いて早い上達が見込めるからです。

私も大学2年の終了後にトロントで一年留学する前はかなり文法や単語の勉強をしましたが、それでも勉強が足りないくらいでした。

正直、オハイオ大学の大学院に入る前もトロントから帰って来て2年間必死に勉強しても大学院でついて行くのがかなり大変だったので、どれだけ勉強しても十分というのないと思います。

それと行く前にもう一つ大切なことは必ずなぜ自分が留学すのかを考え、その留学先で何を達成したいのか具体的な目標を決めることがとても大切です。

僕の場合は英語を上達させることと、友達を沢山作ることでした。

英語の勉強は語学学校に行っていましたが、学校が終わってからも図書館で勉強したり、自分でローカルの新聞を読んだりしていました。

誘われるパーティーには全て行ってたので、友達は簡単にできましたよ。笑

学校で知り合ったブラジル人の友達の紹介でブラジル人の友達たちと住むことになりとてもいい経験になりましたし、文化の違いから学べることも多かったです。

留学中に留学終了後の目標を見つけることも大切だと思います。

僕はトロントブルージェーズの試合を20試合見に行ったことで野球に携われる仕事に付きたいと思いました。

その目標のおかげで、異国の地でモチベーションを保ったまま1年間過ごすことができました。

目標を持って留学先で毎日を過ごすことが、充実した留学になると思いますし、帰国後にも繋がる留学になると思います。

 

インタビューを終えて

晃久さんのお話を聞き、改めて人は人との出会いで進む道が変わっていくんだなと感じました。

また「小さなことでも良いからすべてのことに興味を持て」という言葉は非常に印象的で、どこで学んだ知識が生きるか分からないからこそ、興味のあることはとことん追求する。

新しいことに積極的にチャレンジする晃久さんの姿勢から、失敗を恐れず自主的に行動する大切さを学びました。

 

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ムネ

ネバダ州立大学ラスベガス校卒。現地の会社からE2ビザを取得しラーメン屋店長になるも、2年後にコロナで解雇。ロスに引っ越すもそこで不法滞在となる。日本への一時帰国を経て現在はサンディエゴのレストランで働いています。 Facebookページから最新記事をお知らせ
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