If you know how to live in Vegas you can have the best time. – Tony Curtis
もしラスベガスで生き抜くすべを知っているのなら、あなたは最高の時間を手にするだろう。- トニー・カーティス
北海道の人口6000人の小さな町、池田町で両親が祖父から続くレストランを営んでいたため、物心ついた時には親の店の手伝いをしていました。
初めて手伝いを始めたのは7-8歳ころ、小学校に上がるとタイムカードを押して、給料ももらい毎週末働いていました。時給は50円でしたけどね。
小学校も高学年になると時給は80円に、中学生になると時給は200円でした。
当時は友達と遊びにもいけず“なんて親だ!”と思っていましたが、今思えば小さい頃から“働けばお金がもらえる”と教えてくれた両親には感謝ですね。
高校へ入学してからも、経験したアルバイトといえばホテルのブライダル、マクドナルド、居酒屋とサービス業ばかりでした。
子供の頃からレストランを手伝っていたのでサービス業で働くのは慣れていましたし、なによりお客さんと接するのが好きでした。
次第に親の店を継ぎたいと思い始め、高校を卒業する時には“世界中から挑戦者が集まる国、アメリカに祖父の店を出して成功したい”と思うようになりました。
アメリカへの熱い想いを抑えきれず、親の支援もあり、アメリカの大学に留学することを決めました。
私が通った大学、UNLV (University of Nevada, Las Vegas)のホテルマネジメント学部は全米でも有名であり、街自体がエンターテイメントで急成長していることから、ラスベガスへの留学がレストラン経営を学ぶのには最適だと思いました。
そしてこの決断は間違っていませんでした。そう感じさせたのには、3つの大きな理由があります。
もくじ
文化の多様性を肌で感じる
”アメリカは人種のサラダボウル”とよく表現されますが、ラスベガスではまさにそれを体験することが出来ます。
白人、黒人、ラテン系、アジア人など色んな人種が住んでいるので、幅広いレストランを目にします。
全米の中でもUNLVは最も学生の人種が多様だと有名で、クラスの中でもそれは一目瞭然です。
肌の色が違うということは育った環境、文化、そして宗教が違うということであり、ディスカッションをしても私たち日本人とは違う考え方に出会うことが多々あります。
例えば、日々の生活の中で日本人はどんなことよりも仕事が最優先になりがちですが、ラテン系の人は家族を一番に考えます。
ここで大切なのは、お互いの考えが正しいことを認め、自分の価値を相手に押し付けないことです。
自分の考えを理解してほしいのならば、先ずは相手の考えを理解することが重要になります。
日本もこれからグローバル化により、特にサービス業で働いている人は外国人と接する機会が多くなるでしょう。
もしあなたがお寿司屋さんで働いていて、インド人のグループがお客さんで来たとしましょう。
その中に一人だけ野菜しか食べられないヴィーガンの方が居ます。
私もラスベガスの寿司屋で2年ほど働いて居ましたが、実際に野菜しか食べられないお客さんが来たこともありました。
そこであなたはその野菜しか食べられない人に向かって、“うちは寿司屋だから魚しかないです”と言うのでしょうか。
それとも、一人だけ食べられないのは可哀想だから、かっぱ巻きとおしんこ巻きを出してあげよう。
本当はメニューでは出していないけど特別にガリとアボカドと梅で作った太巻きを出してあげようと相手の文化を理解し、柔軟に考えられる人と、前者のような“自分の価値観を押し付ける人”では、これからの時代どちらのビジネスがうまく行くかは明白ですね。
友達が寿司を食べたいと言ったから、野菜しか食べられなくとも付いて来たのかもしれません。
魚は食べられないけど、カウンターで寿司を握る職人さんを生で見たくて来たのかもしれません。
特にアメリカは個性を尊重する文化なので、レストランで働いて居てもメニューにはないリクエストも非常に多いです。
ラスベガスではあなたの世界観を広げる事ができ、頭を柔軟にさせてくれるでしょう。
学校外で、お金をもらいながら働く事ができる
UNLVのホテルマネジメント学部では机の上での勉強の他に、実践的な経験を積むことが出来ます。
基本的に留学生は労働許可証が政府から降りないので学校外で働くことは出来ませんが、私の学部の生徒は卒業までに1000時間を学校外で働かなければ卒業出来ません。
職場は許可証(ソーシャルセキュリティナンバー)が降りてから自分で探しに行きます。
私は日本食レストランにしか興味がなかったので、ラスベガスで一番有名な日本食レストラン‘NOBU’に応募しました。
最初はホテルの中にあるお店に応募の手紙を送りましたが返事をもらえず、2度目はビバリーヒルズにある本店に手紙を送りました。
その後ラスベガス店の店長から電話が届き、ホテルの中のお店で働く許可を頂きました。
何も経験がなく、英語もろくに喋れない学生がNOBUで採用されたことは今までないそうです。
結局NOBUで働くことはビザの関係で叶いませんでしたが、ラスベガスで一番大きな規模で日本食レストランを展開している会社を紹介してもらいました。
卒業後の今でもその会社に勤めていますが、在学中に学校外で働いた経験と人脈が生きていると感じます。
インターンシップも1学期は必ずしなければいけませんし、留学中に合法でレストランやホテルで働くことが出来る大学は全米を見渡してもそうありません。
学校を卒業後もアメリカに残れるチャンスがある
今の会社で働き始めて2年が経った時、転機が訪れました。
まだ大学4年生でしたが、別の店舗で店長をやってみないかという話でした。
当時寿司屋で働いていた時から店長になりたいということは上司に常々言っていましたし、会社が人材不足ということもあったでしょう。
しかしまだ学校も1学期残っていたので、学校と仕事を両立出来るか不安もありましたが、それよりも大きな希望に駆られ、“学生店長”として同じ会社のラーメン屋の店長を任されました。
アメリカでは人種、年齢、性別を問わず、仕事が出来る人間が出世して生きます。
私と同時期に留学していた友達も別の日本食の会社からビザを出してもらい、ラーメン屋の店長になりましたし、歳が2つほど上の先輩も同じ会社でビザを出してもらい、寿司屋の店長になりました。
努力していれば若いうちに成功することも出来ますし、向上心のない人間は同じ会社に何年いても同じ役割しか与えられません。
私も店長になってから1年も立たない間に、運良く新しいお店の店長も任されました。
新店舗のオープンに関われたこと、24歳で2店舗の店長になれたことは本当にツイていると思います。
2015年のデータでは2035年には今のラスベガスの人口が1.5倍になるとも予想されて居ますし、ラスベガスは急成長中の街なのでこれから多くのチャンスがあるでしょう。
チャンスというのはいつやってくるかわかりません。だからこそ大事なのは、いつ来るかわからないチャンスに対して、努力を続け、準備することです。
まとめ
- ラスベガスではいろんな人種が住んでいる、アメリカでも珍しい街。その中でお互いの考え、文化の違いを尊重することを学ぶ事ができる。
- 留学中に学校外で働くことは通常禁止されているが、ラスベガスでは労働許可書をもらい合法的に働く事ができる。
- ラスベガスは急成長中の街、仕事が出来き向上心のある人は現地の会社からビザを出してもらい、卒業後も残れる可能性がある。
ラスベガスは派手な印象がありますが、それは一部だけで、住宅街は静かで日本人にも住みやすい街です。
留学しながら、学校外で働ける環境があるのは他の学校では聞いたことがありません。
私はこの特殊な環境を生かし、人脈を作り、現地の会社からビザをもらい卒業後もアメリカで働いています。
ラスベガスは皆さんが思っている以上に可能性に満ち溢れている街です。
一度きりの人生、失敗を恐れずに、まずは挑戦してみませんか。