アメリカ日本人列伝

「決断に身を任せて」Resorts World Sentosa 勤務 前沢稜史さん

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千葉英和高校、NIC International College in Japanを経てラスベガスの大学に進学した前沢稜史(りょうじ)さん。

求めていた事がアメリカで勉強できなかった彼が悩み抜いて決断したのは、アメリカを離れオーストラリアの大学への編入でした。

「アメリカを出て、オーストラリアに行った選択が正しかった」と力強く話す、稜史さん。

一つの場所にとどまる事なく様々な国で留学をした稜史さんに、一味違った留学体験を語っていただきました。

人生を変えたアメリカでのホームステイ

稜史さんは日本でどんな高校生だったか教えてくれませんか。

一般的な高校生でしたね。部活はサッカー部で、ほぼ毎日練習があり、練習後は友達とご飯食べて帰ったりして、次の日はまた授業にいって練習しての繰り返しでした。

学校では文系、特に日本史が得意科目でしたが、英語は数学と並んで嫌いな科目のトップでしたね。

なので英語の道に進むという考えは一切なかったです。

落ち着きのない活発な性格だったので、部活の引退後は日本の様々な所を訪れたり、海外でバックパッカーをしたりして見聞を広めました。

当時は若い上に海外経験もほぼ無かったので、バックパック中は、見るもの触れるもの全てから刺激や影響を受けていました。

帰国後は、変に刺激を受けた服装で生活していたの覚えています。笑

高校生の時から海外に興味があったんですね。そんな中アメリカ留学を選んだキッカケはなんでしたか。

高校2年生の時にした、ホームステイの影響で留学しようと思いました。

英語に興味すらなかった僕でしたが、なんとなくホームステイに参加しようと思ったら、そのままそれが大学の進路にも影響を与えました。

当時は英語が本当に大嫌いだったのですが、短期間のホームステイでアメリカが気に入り、進路もアメリカに決めるとは当時は思いもしなかったです。自由に進路を決めさせてくれた親には感謝ですね。

これがきっかけでとりあえず飛び込む、行動するというのが自分の中で築けましたね。

ホームステイを通して、アメリカのどんなところが気に入りましたか?

一人一人が寛大(かんだい)かつ、自分を持っている所です。

初めての海外でしたのでライフスタイルや文化の違いには若干戸惑いもありましたが、アメリカ人の寛容さは記憶に残っています。

拙(つたな)い英語でジョークを披露しても、しっかり聞いて理解してくれたりしたのは嬉しかったですね。

あとは、一人一人が年齢に関係なく意見を持ちしっかりとした考えをもっている所とか。

当時は高校生でしたが、日本の政治について聞かれたり、アメリカの政治やオバマ大統領に対しての熱弁を自分より若かったホストブラザーから聞かされ、それに対しての熱い意見を求められたのを覚えています。

アメリカ留学、そしてオーストラリアでの挑戦

ラスベガスに留学し、アメリカでの生活はどうでしたか?

las vegas ryoji実はアメリカ留学3日目に友達とサッカーをしていて膝の靭帯を切ってしまい、当分の間は松葉杖で生活をする事になったんです。

なので最初はリハビリ中心の生活だった記憶が強いです。

手術まで数ヶ月先だったため、それまで歩けるようになるまでリハビリし、手術後はまた歩けなくなるため、一からリハビリをして歩ける様にするといった生活が長く続きました。

大学の授業後はリハビリ、家に帰ってもリハビリばかりしていました。

しかし怪我のおかげかアメリカ人の性格なのか、色んな人が話しかけてきてくれ怪我をきっかけに多くの人と親しくなれたんです。

今でもたまに当時の友人たちから連絡がくるのですが、決まって「足の調子どう?」から始まりますね。笑

また動きすぎると足が痛かったので、勉強の方にも力を入れられたのは良かったです。

朝4時に起きて朝食後に5時半から開く近くのスタバで授業まで勉強したり本を呼んだりする生活にはまり、足の痛みが落ち着いた頃からジムにも通い始めて有意義に時間を費やせていました。

現在は仕事がシフト制なので毎日そこまでの早起きはできませんが、生産性が高まる朝を大事にする習慣は現在でも続けられています。

稜史さんはアメリカだけでなく、いろんな国でホテル経営の勉強をしたと聞きました。

終わってみれば僕の留学は落ち着きのない性格が表れたのか、渡り鳥のような留学でした。

普通留学と言ったら1つの国に腰を据えて勉強するイメージがあると思います。

でも僕の場合、大学のプログラム上の影響もあり、1つの国にとどまらずに4つの国を大学とインターンで転々とする学生生活でした。

僕の場合、アメリカで大学生活を始め、卒業はオーストラリアの大学で、途中にはスイスで交換留学や、モルディブでのインターンを経験しました。

アメリカを離れた理由を教えてくれますか。

はい、オーストラリアの大学に編入するためにアメリカを離れた理由は主に2つあります。

1つは日本人の多さ。

アメリカはやっぱり定番の留学する国なので、比較的どこへ行っても日本人が沢山いますし、僕の学校も例外ではありませんでした。

当時は留学初期ということもあり、ラスベガスは日本人がそこそこ多かったので交友関係が日本人中心になってしまっていました。

誤解を避けるために言いますが、友人として僕は彼らが本当に大好きですし、今でも連絡を取り合う中です。

しかし留学の目的を自身に問いたときに、コミュニティに染まり居心地の良さに浸るか、それとも自らを成長させてくれる環境に行くかでは、後者の方が成長できると思います。

僕自身も自分に厳しい性格とは言えないので、無理矢理にでも変わらざるを得ない環境に行かないと自分自身成長しないのが目に見えていましたね。

もう1つの理由は、働ける場所に限りがあったこと。

大学の夏休みの間に一時帰国をして長野県でホテルの住み込みバイトを経験させて頂いたのですが、ホテル経営学部生なのにホテルビジネスを全く理解できていない現実に直面し、現場で実際に働く事の重要性を認識していました。

そこで幸運な事に、大学のカリキュラムの一つに現場実習をしないといけない授業があり、これはチャンスだと思っていましたが、実際に僕達日本人学生が働けるのは、英語力等の問題もあり、日本人が経営するラーメン屋や寿司屋がほとんどでした。

単位を取る事や一時的なお金を得ることだけが目的でしたらそれでも良いのかもしれませんが、ホテルで実践的な経験を積みたかった僕にとって、そういった場所でインターンをする選択はベストではなかったんです。

この二つの理由が大きな決め手となって、アメリカだけでなく世界中の大学を吟味(ぎんみ)した結果、アメリカを去り、この2つの点をカバーしホテル経営学により専念できるオーストラリアの大学に行くという決断に至りました。

ホテル経営学で有名な大学がオーストラリアにあったとは知りませんでした。

編入先はオーストラリアの”Blue Mountains International Hotel Management School at Torrens University”というホテル経営学に特化した大学です。

場所はシドニーから電車で2時間、世界遺産のブルー・マウンテンズという場所にキャンパスがあります。

山の上で何も娯楽はなかったので、勉強の合間は景色を見にいったりトレッキングをしたりして過ごしていましたね。バーなんていうお洒落なものは数件しかない上に遠かったので、あまり行く事はなかったです。

遥か先にあるジムやスーパーに行くためには自転車でいくつもの丘を超えなければいけない環境でしたし、日本人もほぼいなく全寮制ということで、ホテル経営学にひたすら打ち込める環境でした。

そして大学のカリキュラムには世界中のホテルでのインターンシップも卒業のために必要な単位として組み込まれていて、まさに理想としていた編入先でした。

全寮制のホテル学校なので、最初の学年の生徒はマーケティングやアカウンティングなどのビジネスに必要な知識を学ぶ傍(かたわ)ら、食事の準備や給仕、清掃、ハウスキーピングも全て彼らが行い、実践的な経験・知識を早い段階で叩き込まれます。

ワインテイスティングやバリスタ、ウイスキーの授業などは、ユニークで記憶に残っていますね。

稜史さんが思うオーストラリアとはどんな国ですか。アメリカに似ていたところはありましたか。

australia ryojiアメリカと似て、多文化多民族国家の印象が強い国です。

例えばシドニーは地理的に他のアジア諸国が近いため、ここはアジアかと思うくらいアジア人の比率が高いですし、欧米人の方がいたとしてもヨーロッパにルーツを持つ移民が殆どだったりします。

それに加えて観光にも力を入れている国ですので、市内には世界中からの観光客で溢れています。

国自体が推進しているマーケティング戦略も影響し、年間の観光収入では日本を抑えて世界のランキング上位に入るほどとなっています。

僕の学校、職場だけでも挙げたらきりがないくらい様々な国のバックグラウンドやルーツを持つ人に出会いました。

オセアニア諸国からはもちろん東南アジアからも、ものすごい数の留学生達が来ていましたね。

学生たちのグループも、白人は白人、アジア人はアジア人でかたまることはなく、入り乱れていました。

なので日本人がもし留学でオーストラリアを選ぶとなると、他の国の方々とは国籍・肌の色関係なしに比較的馴染みやすい環境でしょう。

そして何よりオーストラリアは大自然の国なので、田舎に行けば見飽きるほどカンガルーにも出会えますし、授業中に自然の孔雀が綺麗な羽根を広げて一旦写真撮影会になるという事も多々あります。

シドニーやメルボルンも人口約400万の大都市ですが、その中には実は大都会と大自然が共存していて、都会の喧騒から逃げたければすぐそこに大自然があり、都会が恋しくなっても山を降りればすぐ都会に出れる。

そんな伸び伸びとした環境は、ストレスも溜まらず、心身共に充実した生活が送れると思います。

実際にとある研究ではシドニーはストレスの少ない都市ランキングで8位にランクインされているんですよ。

留学3カ国目はヨーロッパへ

スイスはどんな国でしたか?今までに留学した学校との雰囲気の違いなどを聞かせて下さい。

switzaland ryoji学校のプログラムで1年間スイスのホテル学校”Les Roches International School of Hotel Management ”に行きました。

ここでは主にホテル経営においての経営術やマーケティング、リーダーシップ論や架空のホテルの事業計画書の作成&経営など、経営側からの観点の授業が多かったです。

スイスの山の上にある全寮制の学校でしたので、自然が多くオーストラリアとは少し似たような生活環境ではありましたね。

山には広大なゲレンデが広がっていたので、毎週授業終わりに時間ある時はスキーしてましたね。

学校の特徴として感じたのは、各々が夢や目標を既に持っていて、この大学で勉強をする理由が明確になっている人がほとんどだったことです。

事業を立ち上げたいという人や親のビジネスを継ぐという人が多く、実際にこの学校を卒業した友人の中には既に事業を起こしていたり、親の会社を継いでいたりする人もいます。

そのせいか、この大学の学生達は皆ビジネス上手で、何もない山の上という特性を生かし、様々なサービスを生み、生徒間で需要と供給の関係を生み出して小遣いを稼いでいましたね。

例えば学生によるタクシーサービスや、学食にない食事を作って売りさばいていたり、髪を切ってくれる人もいれば、私物のスキー用品などを貸し出す人もいました。

山の下から帰ってくる人たちは街でマクドナルドを買い、交通費込みで販売したりしていました。笑

山の上は本当に何もなかったので、生み出すサービスが絶妙に生徒のニーズにはまり、上手な売り手は結構稼いでいたと思います。

山の上に小さな街が出来ているみたいで面白いですね。笑

全てのサービスはSNS上の学生のグループの中でシェアされて、買いたい人は買うという流れでした。

売り手も買い手も全て学生だけで行なっていて、皆んなで山の上の経済を回していましたね。

この学生間のサービスをきっかけに、実際に卒業後起業した人もいたみたいですよ。

学校の方は全寮制なので、そういったビジネスが大好きな友人らと寝食を共にすることにより自分のしたい事が見えてきたり、アドバイスを貰えたり、そして今後の仕事で活かせるコネクションが作れる良い環境でした。

今でも彼らとは連絡を取り合いますが、皆んな頑張っていて日々刺激を受けています。

そしてスイスはヨーロッパでも地理的に便利な場所に位置しているので、週末だけでもオランダやフランス、イタリアなど様々な国に行けます。

僕自身休みを使って様々な場所へ足を運ぶ事ができ、週末は周辺国にいって大好きなヨーロッパサッカーの観戦に行ったり、長い休みの時はオーロラを見にアイスランドをキャンピングカーでぐるりと周ったりして、オンとオフの両面において充実した日々を過ごせていました。

アメリカ、オーストラリア、スイス、そして次の行先は

singapore ryoji

3大陸またいで留学し、世界中のホテルで働き経験を積んだんですね。稜史さんは現在どの国で活躍しているのでしょうか。

ホテル経営学に打ち込んだ学生時代を終え、現在はシンガポールに拠点を移し、日本でIRを展開するためのプロジェクトの一員として働いています。

IRとはIntegrated Resortの略で、日本語で「複合型リゾート」という意味になります。

カジノのイメージが強く、それが原因で日本では今だに批判の声も少なくありませんが、実はリゾートの中に占めるカジノの割合はほんの僅(わずか)かで、カジノ以外にホテルやショッピングモール、MICE施設(会議 ”Meeting”、研修旅行 ”Incentive Tour”、国際会議 ”Convention”、展示会 ”Exhibition” の総称)や大型アトラクション、大型水族館まで入っているので、観光客のみならず、ビジネス客や家族連れなど幅広い層が様々な用途で利用できます。

「どうしてシンガポールで働くことに決めたのか」とたまに聞かれるのですが、それは素直にこの挑戦が面白そうだと思ったからです。

シンガポール自体、東南アジアの経済を引っ張り物凄く発展しているイメージはあったので、以前から住んでみたい国の1つでもありました。

私は大学でホテル経営を専攻してきましたが、ホテルに固執し自分の選択肢を狭めるのではなく、自分が挑戦してみたいと思った事を仕事として出来ればいいなと考えていたんです。

なので、とあるホテルの運営会社から頂いていた内定よりも、新たなチャレンジとして日本のIR業界の発展に尽力する方がより挑戦しがいがあるのでは無いかと思い、オファーを頂いた際には即決でした。

周りにIRで働いている人たちがいなく未知の領域でしたし、将来日本にIRができた時にパイオニアとして活躍したいと思うと、必然的に挑戦しない訳にはいかなかったですね。

留学を目指している学生へ

これから留学したいと考えている人に向けて、伝えたいメッセージはありますか?

もしこれから留学を考えている方がいたら、自分の決断を信じてまず行動してみてください。

周りと比べる必要もないですし、その選択に不正解は必ずないです。

大事なのは決断に自信を持って行動する事。

よく世間でも言われている、一歩踏み出す勇気。本当にその通りだと思います。

なぜなら一歩踏み出せば必ず道は拓けるからです。

実はアメリカを去ってからオーストラリアの大学が始まるまで、アメリカを去った事に対する後悔に強くうなされていました。

学校が始まるまでの間、この選択が正しかったのか、それともアメリカに残った方が良かったのではないかと、常に過去の事に対して自問自答していました。

しかし、過去の事に悩むより、行動したことや当時自分の思うベストな決断をしたことによって、その先に必ず何かがあると信じようと思い込みました。

アメリカにいって、オーストラリアにもいって、スイスにもいって。

忙しくも濃かったこの留学生活で出会った人や過ごした環境が全て繋がって、結果として今は挑戦しがいのある仕事に就け、日々新しいことを学ぶ刺激だらけの環境に辿り着けました。

現在の仕事は留学の途中で出会った友人の紹介から始まったので、そう思うと本当に全てが繋がっていたなと改めて思います。

なので今は後悔の1つのかけらも無いですね。

人は行動したもん勝ちだと思っているので、一歩踏み出す事が自分が思い描くベストな未来へと続くと思いますし、僕自身一歩踏み出して挑戦したこの仕事や現在の立ち位置から、どう成長していけるか、我ながら非常に楽しみです。

インタビューを終えて

アメリカ、オーストラリア、スイスで留学した稜史さんのストーリー。

これまでのインタビューではアメリカ留学の魅力を紹介してきましたが、今回はいつもと違う視点から”留学”についてスポットを当てる事が出来たのではないでしょうか。

彼が言う様に、アメリカ留学が合う人もいれば、別の国の留学が合う人だっています。

みなさんに勘違いして欲しくないのは、アメリカ留学が全てではなく、アメリカはあくまでも選択肢の一つであること。

やはり国で留学先を決めるのではなく、「自分が何を勉強したいか」と自分に向き合う事が大切なのではないでしょうか。

【もっと前沢稜史さんについて知りたい人はこちらから】

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ムネ

高校卒業時はTOEIC300点でしたが、気合いと根性でネバダ州立大学ラスベガス校(UNLV)を4年で卒業。アメリカの会社からE-2ビザを取得しラーメン屋店長になるも、2年後にコロナで解雇。現在はロサンゼルスのレストランで働いています。 Facebook・Twitterで最新記事をお届けします。
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